幕西遊廓

東北といえばこの歴史が浮かびます。記すことを東北や北海道の方々には申し訳なく思いますが、かつての郷土史には女性たちの秘史があります。

昭和恐慌時代、東北に「娘身売相談所」が堂々と開設されたのは、有名な話です。 飢饉が重なり農村の娘は女工か娼妓になるかを迫られました。 娘たちの多くが売られて行った先は北海道です。名もないタコ部屋労働者や女郎部屋の女たちなくして、北海道開拓史は語れません。それはまさに、開拓の人柱だと言えます。中でも、昭和32年まで実在していた「幕西遊廓」…その存在は室蘭の発展を支えてきた裏面史です。

室蘭市は、北海道の重工業の中心地であり、明治40年につくられた日本製鋼所は、当時東洋一の兵器工場と言われました。

まず男たちを安住させるには金と女に限る、という政治上の方策から廓が誕生していきます。しかし、社会の底辺で生きる者たちを蔑視し、その人格人間性を否定し無視しながらも、そういう者たちを不可欠とする矛盾だらけの側面がありました。

戦争という思想を背景に、鉄は平和産業なのだと言いたくても言えなかった時代。そういう礎のもと、私たちは今を生きています。文明はすすみ、次なる兵器となった核は、兵器となるために、原発となり町を廃墟にするために、本当にそのために生まれてきたのでしょうか。 人の手次第でどうにでも化ける。根っこは、なにもかわっていないような気がします。
回顧にとどまらず足跡から現在と未来を見つめます。

今なお悲劇にあってしまった東北。 望郷に泣きながら、奈落の底で、血を吐くような人生を渾身の力ふりしぼり、闘い続けて生きた遊廓の少女たち。幕西へ と北の海を渡った彼女たちの慟哭に耳を傾けながら、今なにが起きているのか、考えています。

(参考/室蘭風俗物語(昭和61年発行)室蘭市役所・民俗資料館より昭和63年に取り寄せました)

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