バスをおりたら。~かわらないまなざしに。

おかぁちゃん
まってるにゃ

メル姫ちゃん
もうすぐおそうじおわるから
そしたら
あそぼうね

.三人姉妹。

小学校から
学校は遠くてバスで通っていた。

給食はないのでお弁当をつくる。

まだスクールバスがなかったから
お弁当をつくった母は

一緒にバスに乗り学校まで送り
帰りは迎えにきて
また一緒にバスに乗る。

6歳、
入学すると片道一時間半の登下校は
まずそこから始まる。

2週間ほど一緒につきそうと
次は、バス停まで送り迎え。

帰り、バスから降りると母がいた。
それがまた2週間くらい続く。

そのあと、
じゃひとりでやっていこうね、と
通学の往復は自分ひとりでできるようになる。

・・・と思っていたけれど、違った。

母は隠れて

わからないように、あとをつけていて
家が近づくと先回りして家に帰り
おかえりなさい、と言っていたのである。

高校卒業してはじめて
そうだったの、と知った。

同じ学校に通った娘三人
みんなにおなじ。

三人とも、バスからおりてきたら
ゆっくりゆっくり歩いて
よそ見したり立ち止まっていたり
普通に歩けば約20分の道のりが
ずいぶんながい時間になったという。

とくに末の妹のときは
たいへんだったと笑っていた。

犬や猫をみたら遊び
きれいな庭の家があれば眺め
足元の草花をいつまでも見つめ
鳥でも小さな虫でも
何度も何度も立ち止まって
じっとしているから
一時間近くかかることがよくあったらしい。

着きましたか?
学校へ電話したこともあった。
もう降りてくる時間なのに娘は降りてこない。
そんなときも母は

何度か学校へ連絡した。

いつも母はいて
三人に同じことをした。

バスに乗った娘が
バスから降りてくるまで
どんな気持ちだっただろう。
おおよその時間しかわからないから
どれだけ降りてくる娘を待っていてくれたか。

私には
おかあさんはいつも家にいて
ただいま、と帰ると

「おかえりなさい」という記憶しかない。

そういえば
バス酔いをよくしていた私が

バスからおりて
気分が悪くておう吐したとき
おかあさんが走ってきたことがある。

「おかあさん、お買いものにきてたのよ。」

そう言っていたけれど、そうじゃない。

おかあさんは
「もうひとりで大丈夫」と確かめ続け
待ち続け
いつもいつも、そばにいてくれた。

それはそのあとも
おとなになっても
かわらないものがある。

こどもが親に
どれだけの努力ができるか
わからないけれど
親はどんな努力でも
努力とおもわずに
できるのだろうな

母ひとりで、娘三人そだてたおかあさん

一生かけてもかえせない

おかあさんへの恩返し

ひとつは

わたしたちがしあわせになること

わたしは娘を亡くしたけれど

こんどはじぶんのこどもを

そだてみまもりつづけることで

かえしていくことにもなるのかもしれない

うちのにゃんこどもたち

みんにゃも
まっていたのかな
じかんというバスにのって
このお庭に
ついたんだね
そうしたら、ほらね
いたでしょ
おかぁちゃんだよ

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