筑紫れくいえむ

友達がいるから、ここへはよく訪ねていく。
あまり知られていないが、いつもおもうことがある。旧筑紫駅はこの場所とは少し違うけれど。

昭和20年8月8日、終戦直前、西鉄大牟田線、旧筑紫駅を通りかかった電車に米軍機が機銃掃射を浴びせた。電車には中学生たちが乗務していた。死者64人、重軽傷者多数、と伝えられる。でも、実際の死者は150人に達するという証言がある。学徒動員で13、14歳の少年少女が運転士、車掌を務めていた。衝撃の事件は、当事、口外無用のかん口令がしかれていたという。なぜ電車は襲撃されたのか、近くの山家地区の洞窟に、極秘の西部軍指令部があったことが浮上する。なにがあったのか知る人も機会も薄れている。この現場写真は、かつて見たことがあり、惨状に言葉は出なかった。

やりたいことも夢もあっただろう。突然いのちを絶たれた、少年少女たちをはじめ、日常を生きようとした多くの方々を祈りながら、しばらくここで座っている。利権や権力に巻き込まれて、悲劇に泣くのは、いつの世も、ふつうの人びとのように思える。

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