おかあさんは、たたかったんだね。

だっこ

動物園だな
よく連れていってもらった
二十歳でわたしを産んだおかあさん
着物を気軽にきていた
かとおもうと
幼稚園での父兄写真に
着物ばかりの母親のなか
ひとりだけ
ヨーロッパレースのスーツを着ている
若い頃からまわりにそまらない
芯があるんだなぁ

実のおとうさんの写真をきのうもさがしてみた。やっぱり一枚もない。全部、はぎ取られていた。娘と写っているおとうさんは、そこだけ破りとられている。

おかあさんがそうした。
無理もない。仕方がない。
わたしでもそうしただろう。

おかあさんは自分のことだけだったら、そんなことはしなかった。
自分のことだったら。

お盆におとうさんのことを書いた。
私が中学のときに消えたおとうさん。

高校卒業まもなく、早朝から、母は玄関でなにか言っていた。その光景は毎日、続いて、玄関をあけずに、母はしゃがみこんで玄関の扉を両手で押さえていた。

聞こえてくるやりとりから、わかった。
家の売却だ。

いない父が、名義にしている家を売った。

まだ妹たちは学校に通っている。養育費など送られてきたこともない。

「ぜったいに売りません。ここは、娘たちの家です。娘たちが帰ってくる家です!」

母は叫ぶ。
でも、通用しない。名義は実父だ。
建てたのは、母の母、私の祖母。
このときほど、夫をたてて名義にしたことを後悔したことはなかったという。

裕福だった。祖母もよく助けてくれた。

追いたてられるように
おかあさんと娘たちは引っ越しをした。

お金をうけとるとき、母はもう疲れはて、私が行った。
なぜ?こんなときにいるの?おとうさん。

受け取ったお金のほとんどをもって、父はまたすぐに消えていった。

それから、父の写真はあとかたもなくなった。母の怒りとかなしみと無念と、帰る家を娘から奪われた出来事を、私たちに詫びていた。

私の誕生日。明け方。
みた夢は、父が出てきた。
やさしい父の顔ではなく、あの、思い出したくない顔。
「あっちにいって!こないで!」

自分の怒鳴り声で目が覚めた。

もう忘れていたはずだった。憎しみなどあとかたもないと思っていた。

心の奥底に、根づいている。
骨肉はふかい。
ゆるすとかゆるさないとか
そんなのはおもいあがりだとおもう。
自分をしった
神様からの誕生日プレゼント
そうおもって
心の根っこ、かわりたい、そう祈った。

おとうさんはその後
過去を振り返っては後悔を重ね
人を助ける道を歩いていったそうだが
53で苦しみながら逝った。

親を憎んでいては
しあわせにはなれない。
どんな親であろうとも
選んで産まれてきたのは
わたし。
好きで産まれてきたんじゃないと
そう思った思春期もあったが
選んで産まれてきたのは
わたしたち娘だ。

ひとのせいにしたらよけいくるしい。

意味あってうまれてきた。
しあわせになるためにうまれてきた。
のりこえる練習は
心の容器をおおきくし
それは
魂の結果で
天地一切、神のはかりごと
大慈と大悲は
愛、天意(あい)だと、そうおもう

どうして写真やぶっちゃったのよ?
笑ってきいたら
おかあさんも、
そうね、だって、頭にきたんだもん
と言って陽気に笑っていた。

死んだ人に、もうなんの恨みごとなく
手を合わせる、わたしのおかあさん
あなたはわたしの誇りです

にゃんこどもたち
だっこしよ
やっぱりね、いいお誕生日だったよ
えがおのちかくに
しあわせはあつまる
って、気がするよ
みんにゃ、わらってるね
えがお、えがお

おかぁちゃんはね
おかあさんに
あいされてきたんだよ
うん、おとうさんにもね
あの日があったから
しあわせなんだね
ムダはひとつもないんだよ
これからもね

(2012.9.23記 2020.8.15加筆修正)

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