20代後半広告の世界がいやになってあるシステムキッチンのメーカーの事務の仕事に就いた。 そのとき、まわりで働いている事務職のみんなに仕事とは別の顔があることを知った。
ある人は、保育士有資格者だったりある人は、パースレーターだったり看護士の資格とかインテリアコーディネーターとか美大で絵を学んでいてデッサン力にびっくりとか、はたまたある人はとってもともだちが多かったり。
得意なこと、好きなことがいっぱいみんなあるんだな。 で、私はといえば、「もう一回やりなよ。戻っておいで。」という仲間の声で半年で広告の世界に戻ったわけで。
広告の世界に戻って本業の広告制作のかたわら事務職時代のともだちや広告業以外のともだちの「好きなこと」「できること」「やりたいこと」をつないだ。
一流のプロまではのぞまないが ちょっと上のこと。おうちをきれいに飾りたい企画書や報告書にイラストいれてほしいここ、ディスプレイしたいの♪そんな、一般家庭や企業の声に対して案件ごとに人を変えておこたえして利益はぜんぶ、参加してくれたともだちへ。
みんな、楽しんでいた。本業は別にあるし本業やデート優先で無理なく。みんなのお小遣い稼ぎや楽しむために、やってみたこと。
その中でオピニオンリーダー的な何人かがいて 私の仕事をサポートしてくれるようになり、約10人の職業が全く違う彼女たちとどれだけのことができるかと観光地のアンケートの仕事を企業からひきうけた。 100人アンケートはそのときすでに通常になっていたのでそれ以上のことはやってみらんとわからんし。
アンケート回収締め切りに近づくとファクシミリが止まらない。 届いたアンケート約1500人。
その後、三回ほど アンケートの仕事を請け負って友人たちでたのしんだネットワークは、解散。これ以上はみんなのぞまなかったし結婚して家庭にはいっていく友達も続々。 友人たちは、私のともだちだっただけで友人たち同士は全くなんのつながりもなかったし、つるむとか、群れを嫌った。
女性たちの、ちいさな手がつながればなにかができる、うまれる。それが「リトルハンズ」というネットワーク。
あれから30年のときをこえいま、わんにゃんのことをもたもたとやっているけど案件ごとに関わる人が変わりながら対応しているのは そんなつもりはなかったけどあのときの応用かなぁ。
無駄はないですよね。あの頃の体力もバイタリティももうないですが、自分からやることは、だいたい、見切り発車します。太い柱さえしっかりたてておけばやりながら考えて、今やることを走りながらやっていって完璧より完了。ホリエモンさんが言ってありました。
「考えたら、負け。」