海外の人たちが残した150年前のこどもたちの風景。

あそんでくだちゃい

だ、だから、びびちゃん
ゲージからでておいで

もっとなでてとおかぁちゃんを
つまえるびびちゃん
いつまで籠城かな?
ゲージにいてもね
いっぱいあそぼうね

150年前、来日中に生麦村、今の横浜市内、薩摩藩士に殺害された「生麦事件」の英国人チャールズ・リチャードソンさん。
来日後は、「日本は大きな貿易国になる」と家族に印象を書き送っていた。来日後は「山や海の景色は抜群で、日本は私が訪れた最高の国」などと書いた。好きだった日本での最期が痛ましい。
維新前後には多くの欧米人が来日し、多くの日本印象を残している。そこにある日本は現代の日本人も知ってほしい言葉がある。西洋にはない「子どもたちの風景」が極東の島国では見られたという。
万延元年の遣米使節団は米国で見た乳母車に感心したが、欧米人は日本の赤子が母親や兄姉の背に負われたりする姿に感銘を受けた。
少し大きくなると、通りで友達と「暗くなるまで転げまわっている」とデンマークの軍人は書いた。「生き生きとした顔を見れば、健康で幸せに育っているのがわかる」とも。
教育は家庭と寺子屋でなされていた。日本を旅した英国の紀行作家イザベラ・バードは、子どもが「10歳になるころまでには、何をしたらよいか、何をしてはいけないかを正確に知っている」ことに驚いた。
1世紀半前の日本はそんなふうに語られている国だった。
(参考資料・西日本新聞)

教育って
いきていく力やのりこえていく力を
つけるものだよね
迷惑をかけるのもいいとおもうよ
強制はいけないっていうけれど
その一方、き弱にしてしまっていること
あるんじゃないかな
こどもたち
じぶんでいっぱいかんじて
たくさん本もよんでみようよ
携帯をちょっとたまにはおいて
ちょくせつおともだちとはなそうよ
いのちにもたくさんふれて
あそぼうあそぼう
ガキ大将はきっとまだいるよね

うちのにゃんこどもたち
みんにゃなかよしだね
しらないどうしのみんにゃだったけれど
あそぼあそぼ、はしりまわってる
おかぁちゃんはきもちがいいなぁ
きょうも、あそぼ

(2012.8記 びびちゃん、またケージのなかまっ家猫修行中)

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