8月25日を忘れない。

(2012.8.25記、2019改編転載)

8月25日を忘れない。

お友達の玄関先で咲いていた
あわいピンクの花
寄り添って、家族のように

毎月25日、一日のうち、どこかで私は時間を止める。ほんの数秒だけでも、空を見上げ、地面を見つめる。

6年前の今日、悲劇は起きた。みんな知っている、福岡の人間ならみんな知っている、知っていなければならない。

家族でカブトムシを捕りに出掛けた帰り、飲酒運転の車に激突され、夏休みの思い出を乗せた家族の車は、海の中道の橋から海へ沈んでいった。おかあさんは何度も海に潜りながら、三人の子どもたちを救いだし、おとうさんが抱きかかえたが、幼児三人は天国へ逝ってしまった。

この子が通っていたのは、私の妹が通った同じ幼稚園で、シュタイナー教育を開園から取り入れている。この家族が住んでいた場所から距離はかなりあるので、子どもたちの中に芽吹くものをのびのびと開かせてあげたかった両親の願いをおもう。

こぞってマスコミは取り上げていた。おかあさんである彼女とは知らぬ仲ではないので、やめてくれないかな、と内心思っていた。親だけが残された家の中には、子どもたちのおもちゃや気配がそのままで。

数日後、全国ネットのテレビに両親が出られた。中継インタビュー、彼女は「ありがとうございます、大丈夫ですから」と言った。
なにをしている?大丈夫ではないじゃないか?この局はなにをさせている?
わかっているのか?!
もうすでに始まっていたのだ。マスコミに出る彼女たちへの非難。

迂闊にも私に、あのテレビ、みた?、と批判した近所の方がいた。あの家族が住んでいた土地は、そこで生まれたことを隠したくて戸籍を変えた人は大勢いる、そういう地が非難をさらに押していたことをどれだけの人間が知っていただろう。これについては、歴史を勉強しなおせ、とそのたびに言ってしまう。
「子どもを亡くした親がどれだけの気持ちか、それをさらに批判するなら、あなたは人としておかしいと思う。」腹が立った。

三人の子どもを亡くした彼女は、間もなく、妊娠した。ここで、また批判が向いた。よく子どもをつくる気になれた、という無神経。わかるよ、この声に返した。

知らないのだ。慟哭なんて言葉も絶叫という言葉も、当てはまる言葉などなにもない。あまりに深い、想像も絶する痛みと嘆きの傷をお互いえぐるように、求めあうこの、あまりにもつらすぎる夫婦の、夫婦お互いしか分かち合えないものを。

「そっとしておいてください」
耐えていた親は、やっと言った。
妊婦でありながら、ふっくらしていたおかあさんの頬は痩せこけ、顔が変わっていった。
祈りながら、指折り待った、出産。
誕生の歓喜は狂喜だった。かなしみとよろこびが凝縮され一瞬で吹き出し、狂ったように大声で泣き叫ぶ、あんな母親の姿は、みたことがない。

事故から5年目を契機にはじまった、チームゼロフクオカ。
福岡県内の飲酒運転事故数は、全国ワースト1を脱し、それでも今は7位。
今朝の新聞は、この色で染まっていた。

海の中道事故で飲酒運転した若者も、そこで時間が止まってしまった。
彼がいた職場、毎日、いのちと向き合いながら、引き起こした悲惨な出来事を重ねて、
殺処分ワーストにも連ねる、自分の愛する福岡を祈っている。

じぶんにかぎって
ちがうよ
みんなじぶんにかぎって
おきうること
おこしうることなんだよ
くるまもどうぶつも
ほんとは、ひとにわるいことせんよ
させるのは
なんにしたっておなじ
にんげんのほんのちっちゃな
こころのほころび
それはどこまでも裂け
人生のページをやぶく

うちのにゃんこどもたち
にゃんこどもたちは
いたい、ってよくわかるね
あのこどもたちは
山笠がだいすきだったね
命日だけど
ご先祖さまにおまいりしたら
「いわいめでた」
おそらにうたおうね
それでね、そしてね
にじのはしのむこうへ
とどくように

しあわせになってください

(2012.8.25記、2019改編転載)

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