おとうさん

ひかりまねく
はなたち かえりびと むかえ

たぶん宴会でもはじまってるかな
恒例、お仏壇には
おとぅちゃんの手づくりのぼたもちが
りっぱな山のように供えられた。

私の実の父は、私が十代の頃、どこかに消えた。その後の母は娘三人抱えて、ただ必死。

そんな父をあえて忘れた三十代、一本の電話がきた。 知らない女の人、遠い地から。
「お願いします。勝手を申してすみません。どうかこちらにいらしてください。交通費などすべて私でいたしますから。お願いいたします。」
繰り返す懇願の声。調べ尽くしてやっとわかったのが、長女である私の電話番号。実父の奥さまになった女の人、 年は私とあまり変わらない。
「わかりました。」
戸惑いはしたが私の気持ちはどこか冷ややかだった。でも、行かなければきっと後悔する。母と妹たちに連絡して、ひとりでむかった。

出雲の地。
病室にはまぎれもなく父がいた。憎んで憎んで憎んでも足りない父がいた。
白血病に結核併発、意識はまったくないが、もう最期なのに、息を引き取らないことに医者たちは首をかしげていたそうだ。奥さまは、逝けないんじゃない、逝かないんだ、そう悟って娘たちをさがした。

旅立とうとする父に憎しみは消えていた。聞きたいことも問いたいことも数えきれない。でももういい、もういいよ。

「おとうさん」
何年も口にしなかった、この言葉で、ありったけ声をかけた。意識などない、首には呼吸器。なのに、かたく閉じた父のまぶたから流れた、ひとすじの涙。

その日のうちに福岡に帰った。自宅に着いたすぐ、電話がなった。
「今、逝きました。ありがとうございます」

母も妹たちも聞いて驚かなかった。知っていた。みんなのもとへ、父は来ていた。「やっぱりそうだったの。」

奥さまはやさしかった。
「あなたのおかあさんにはかないません。だれよりもあなたのおとうさんが最期に会いたかったのは、あなたのおかあさんです。」

父の耳元で私がささやいたのは
「おかあさんはこれないからね、おかあさんは今、しあわせだからね。」

母の写真と娘や孫たちの写真に囲まれて、おとうさんは空にかえっていった。

奥さま、がんばりました。誰よりも会いたかったのは母だなんて、年が同じなだけに胸中おもうと、切ない。奥さまも今、新たな伴侶とこどもたちといっしょに、しあわせになってありますね。後の人生で、私にできるか教えてくれた、おもいの形見ですか、おとうさん。

みえるせかいがこれだけあるなら
みえないせかいはもっとひろいとおもう
ひとはもともとたましいで
たましいでつながり
血はよぶんだろうね

書いてとどめたのははじめてだな
すこしはおとなになったかな

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