「チキンと爆弾」

「原爆文学研究会」
福岡を拠点に発足して、およそ15年になる。確か5年ほど前の夏だった。北米圏ならではの原爆と文学との関わりあいを探ってみようと、ワークショップが開催された。

そこで、紹介されたひとつが、この詩。

『もの:チキンと爆弾』

アーカンソー出身のワイリーと
何度か一緒に働いた
イエローケーキで
普段ワイリーはスクラップ置場で働き
スクラップを仕分けた 会社がそれを
売ったり再利用したりできるように
普段私は粉砕場で働いた
そこではウラニウムといえるものは
石と原鉱にすぎない
イエローケーキで
私たちは加工したものをパックした
黄色い粉を
55ガロンのドラム缶に入れて
トラックが待っているところまで
転がしていった
それがどこにいくのか分からないままに
一度
何か知っているような気になって
ワイリーに言ってみた
政府はイエローケーキを
爆弾のために使っていると
原子炉や実験のために使っていると
ワイリーは私の顔をしばらくじっとみつめ
地面につばをはいて
言った「一度、鶏肉工場で
働いたことがある
毛をむしり取って鷄を加工した
みんなが食べられるようにね
それ以外にどうすることができるのかなんて
知るもんか」

(サイモン・J・オーティーズ作
松永京子訳)

ネイティブ・アメリカンの血を引く詩人。
核実験用のウラニウム採掘の仕事に従事する先住民の人々の過酷な実態を、自らの詩作を通じて、今なお世の中に訴えようとし続けている。

自分たちが鉱山から掘り出したものが最終的にどんなことに使われるのか、よく分からないまま、ひたすら肉体を酷使して働き続けるアメリカ南西部の先住民たち。

抵抗もなかなかできないまま、ひたすら沈黙を守り続けている、こうした人々の複雑なおもいが詩から伝わる。

ただならぬ普遍性と永遠性

日本国内に閉じられてきた言葉を
あらたに見直したい
世界中の人たちや出来事とつないでいく
その大切さを
見失わない冷静さを
見つめることから逃げないこと
ゆめゆめ忘れてはならないと
そう思う

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