1970年代、「木を切るなら私の体を切ってください」と木に抱きついて森を守るチプコ運動が北インド一帯に拡がっていった。有名な話である。「チプコ」とはヒンズー語で「抱きしめる」という意味。急速に失われていくヒマラヤの森を守ろうというこの運動の母と仰がれるのが、チベット国境に近いレニ村のゴウラ・デビさんである。
1974年3月27日、レニ村の男たちは全員町を出払っていた。この年のはじめ、レニの森の木を2451本がすでに森林局から業者に落札され、伐採のマークもつけられていた。レニの人々は伐採に強く反対していたが、この日、伐採員の一隊が朝とともにレニの森に忍び込んだ。
村の女たち20数名に少女たちも加わって森へかけつけた。オノを振るおうとしている作業員に「兄弟たち、森の木を切らないで。この森は母なる家で、私たちに必要なものをくれます。森がなくなると、山がくずれ、洪水がおこり、私たちの家も畑もなくなってしまう」必死に叫び、一人一人が木に抱きついたのである。
作業員たちは思わぬ女たちの抵抗に腹をたて、酒気帯びた一部は、ツバを吐きかけたり、髪を引っ張ったり、罵ったりしたという。まもなく、森林警備員が来て、彼女たちの背中に銃をつきつけた。
「撃つなら撃つがいい。私のいのちを与えても、母なる森は絶対に渡さない。」という捨て身の気迫に作業員たちは引き揚げていく。3日間、母親が子どもを抱きしめて守るように、デビさんたちは森にがんばり続けていった。
レニ村の女たちの闘いは、チプコ運動が北インド、ヒマラヤ地区一帯に大きくひろがるきっかけになり、レニの森は業者が伐採を諦めたのだ。州政府は76年、アラクナンダ川流域1200平方キロにわたり森林伐採を10年間全面禁止したのである。救われたのはレニの森の2451本の木だけでなく、何十万本というヒマラヤの木々であった。
フォークシンガー、ガン・シャム・サイラニさんが79年に作った歌。
ヒマラヤの森で聖戦が始まった
冷酷な人々が木をオノで切り出した
姉妹たちが聖戦に加わった
私たちの森を守らねばならね
生命かけて木々を抱かねばならね
木々の心臓の鼓動を感じよう
緑の木々が倒れたら
私たちは何を食べ何を着たらよいのか
インドが洪水になれば
貧しい人々はどこへ行けばよいのか
「レニ村のゴウラ・デビ」の名に、インドの人々は、18世紀にいのちとひきかえに木を守った「ラジャスタンのアムリタ・デビ」の名を重ねる。オノで体を切られても切られても木にしがみつき、彼女のあとに続いてオノの前に身を投げ出した村の男女は363人にのぼったという伝説的な話が伝わっているからだ。アムリタ・デビたちが守った森は、250年後も砂漠の中にオアシスとして残っていったという。
全インド、ひろく海外からも注目の的となった、ガンジー主義に根ざしたチプコ運動。歴史の歳月を超える女性の力の偉大さに心底、揺さぶられる。
木は人がいなくても生きられるが、人間は木がなくては生きられない。忘れがちな自然と人間の基本的な関係を、身をもって証そうとしたこの出来事を遠い時の彼方においやってしまってはならない。