宇美川と弥生時代*探訪宇美町*

宇美川

魏志倭人伝に登場する、不彌国を、このまち、宇美説とするひとつに、糟屋平野に流れる、宇美川、多々良川流域の平地の発展性が浮かぶが。

その前に、弥生時代を考えてみた。

国の繁栄の基礎にあるもの、それは、初期水田遺跡が条件にあがる。

弥生のはじまりは、
水田をつくる技術や目にみえる物の登場だけでなく、目に見えない農民の考え方や社会組織など、人間社会の全体にわたる、あたらしいモノやコトの出現であって、革新なのかもしれない。

たとえば、縄文時代には人間が移動して泉で水を汲んでいたのが、弥生時代以後は、人間は動かずに水を組み上げる井戸を盛んに掘るようになったという。

究極なところ、便利さの追求と環境破壊の第一歩も、弥生時代にはじまる、と言っていいのだろうか。
大地はたがやすことで傷つけられ、森も伐りたおして人間のための有用な物をつくりだす資源とみなされはじめたのだから。

縄文人は基本的に溝を掘らなかったが、弥生人は盛んに溝を掘って自然と人間を区別するとともに、人と人も区分し格差をつけられている。

ここに弥生社会の本質があるというから、最古の環溝(濠)集落こそ、日本列島での最初の農村であり、弥生時代の指標となるわけなのだそうだ。

このように溝で囲まれた集落、環濠集落。最も有名なのは、佐賀県の吉野ヶ里遺跡。
環濠集落の初源、最古の農村の内容が明らかにされたのは、ここ糟屋郡粕屋町の江辻遺跡である。

その頃、人間は自然からいただく
ということを、どう天地におもい、祈ったのだろう。
なにもかも、いのち。
空を水を、緑を、そして神さまを
与えていただいて生きていることを
あおいでみていたのだろうか。

うちのにゃんこどもたち
じぶんたちはにんげんにうまれていたら
よかったかなって?
猫ちゃんにうまれて
おかぁちゃんのところにきたいみは
ふかいんだよ
とおいむかしのやくそくだとおもうよ

ながれる川に
いまたっている足もとのそのしたに
つがれつがれてきた礎が、あるんだね

知恵は、叡知。
人間のね。
人間って、人、ひと
そうなるまで間があるんだね
その間って、なんだろうね。

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