言葉にどれだけのおもいを込めたか
ということより
相手がどう受け取るか
ということを考えることも
とても大切なことだと思います。
いわゆる「うつ」の状態が続いたとき
心の切り換えがうまくできずにいました。
これは、結構、苦しいですね。
そんなとき、目上の、立場の上の方から
「よくなってるのよ。大丈夫、よくなる変化」
と励まされました。
それも、ラインで一行。
一切は、よくなる変化、だと
私もそう思っています。
だけど、
自分の心でありながら勝手に心が動いていく。
自分の思うような心の転換ができなくて
どっぷりしずむこともある。
言葉は、というかLINE一行
届くどころか、心をかすめて
その言葉はいまじゃないだろ。
「そう思えないから
いまこのメンタル状態なんだろうが」
いわなきゃよかったと思いました。
いった自分が悪いな、と。
また、こんなこともありました。
友だちが預かりした猫が、
預かったときはウィルス検査ではマイナスときいていたのに
のちにエイズとわかり、彼女は大変動揺していました。
潜伏期があるので、
もう一度、検査の必要がありましたが、
保護主はそれをしていませんでした。
その子はちいさくて、
体重も増えず、ごはんもほとんど食べず、
口の中は口内炎や歯肉炎。
だいじょうぶよ。
私は、そう言いました。
それは、うちのマルもそうだし、
ほかの子には感染しないし、普通に暮らせるよ。
そんな、意味で。
彼女の目には涙がたまっていました。
だいじょうぶって、ほら、そういうよね。
ちがうの。
引き取るときに、この子がエイズだと知っていたら、
もっと覚悟ができていたし、
もっともっと、はやめに手当てができていたと思う。
知っていたら、できたことはあった。
苦しんでいる、あの子がだいじょうぶにみえる?
あの子がかわいそう。
怒りと悲しみ。
聞こえる声は、つらかった。
心によりそわず
だいじょうぶ、って言った自分は
なんにもわかっていないと、
言葉をのみました。
自分はその人ではないから、
同感できても、
その人そのままの気持ちがわかるということは
できないです。
でも、ちかづくことはできるかもしれません。
「伝える」は「伝わる」とは違います。
伝わらなかったら、
いつも、反省します。
受ける方より、
伝える側に責任があるという心がけ。
人はいろいろですが、
おかぁちゃんはいまもうずっとそうです。
うまい言葉やたくさんの言葉より、
「伝わる」、そんな魂の人になれたら。
よかですね。
2017-10-08 記2019-6改編