ねこおじさん

という作家名の陶芸家がおられる。
本業のかたわら、猫さんをつくるときだけ、このなまえにされてある。

母も私たちも、陶器が好きで、妹は大きな食器棚まるごとひとつ、コレクション用にして、みせている。

高校時代、でかけていた母が戻ってきたかと思うと、またすぐ飛び出すように出かけた。
帰ってきた母は、信楽焼のような壺を抱えている。

小ぶりだけど、どっしり感、いいね、かわいいくらいだね、手ざわりをたのしみながら
でも、おかあさん、どたばたどうしたの?

うん、この壺、やすいなぁ、〇千円、嘘みたいだなぁ、と思って、レジにいったの。そしたら、ゼロがひとつ違っていてね。もうレジまできたし、どうしてもほしかったし、お金とりに帰ったのよ。

もう大笑い。

巣だったり引っ越したりするたびに、母と娘たちの取り合いになって。母のいわくつきが、さらにおもいを深めたのか、娘たちはほしがってほしがって。どっしり壺さま、今は、我が家で鎮座されていらっしゃいます。

石だって、生きている。
そういって、以前、口論になったことがある。
ただの無機物じゃないか
いいえ、生きています
ムキになったことがあるな。

きっと猫にうまれかわりたくて
ねこおじさんの手を招いた土。

どんなものでもそうだけど
心をこめて
あたらしいいのちをそそぎこむ。
だから
ひとの心にとどき、ひびき
うまれてきたものが
ひとをえらぶのだとおもう。


うちのにゃんこどもたち。
みんにゃも、おかぁちゃんも
ちきゅうのいちぶから
うちゅうのいちぶから
うまれてきたとよ。
だいじにうまれてきたんやけんね。
ちきゅうはにんげんのものじゃなか。
にんげんがちきゅうのものだと
おもうとります。

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